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かなざわ人物語

まちづくり委員会

2021.08.30

街のハブとなり、「失われた30年」を取り戻すー金沢八景まちづくり委員会委員長・永島稔さん

「八景生花店」店主永島稔さん

金沢八景

あるときは、花屋。あるときは、商店会の理事。そしてあるときは、まちづくり委員会の委員長 。

……いくつもの「顔」を持つ、にぎわいづくりの影の功労者、永島稔さん。金沢八景の「失われた30年」を取り戻し、10年先、20年先、さらにずっと先の世代も笑顔で暮らせる街を目指して、活動を続けています。

これまで食や文化をテーマに、地域のコミュニケーションの場を目指し「青空市場」や「金沢八景まつり」などのイベントを手掛けてきた永島さん。なぜこれほどまでに金沢八景のまちづくりに尽力できるのか、その原動力について聞いてみました。

永島さんは生まれも育ちも金沢八景。お父様の代から約50年間続く生花店を継いだ、2代目です。一度は八景を離れ、横浜中心部へ出ていたこともあったといいますが、両親の営む生花店の近くで花屋を営むことを決意。家族と一緒に13年ほど前に帰郷しました。

しかし八景に戻ってきた永島さんの目に映ったのは、かつての活気が失われ、人も建物も新しく街に入って来ていない、寂しい風景でした。非常に危機感を感じたといいます。

「ぼくが高校生のころ、三十数年前になりますが、駅前一体の区画整理事業の話が立ち上がったんです。父親が『八景がこんな風になるらしいぞ』と、未来予想図のようなものを家に持ち帰ってきたことを、よく覚えています。

けれど市の計画が発表されて数年後には着工する予定だった工事が難航したようで。結局30年近くかかって、ようやく完成したんです」

30年。世代が一回りしてしまうほどの長い時間がかかった、区画整理。このころのことを、八景の住民の間では「失われた30年」と呼んでいるのだそう。新しい建物もなかなかできず、当時からある店の経営者は歳を重ねていく。永島さんの同世代も、どんどん外へ出てしまいました。

「このままではダメだ。自分の子どもたち世代が『いつか金沢八景に戻ってきたい!』と思える街にしなければと思ったんですよね。何かできることから始めようと思い、商店会やまちづくり協議会(現在の「まちづくり委員会」の前身)に参加させてほしいと頼んだんです」

当時40歳だった永島さん。60代でも若手と言われていた会の中では、若手中の若手。勢いを武器に、イベントの企画などに奔走します。

その一つが「青空市場」。近隣の飲食店の出店や、生鮮野菜の販売、音楽ライブなどを仕掛け、多い時には約3000もの人が集まったのだそう。商店街の中だけで完結するものではなく、新しい人の流れを作ろうと企画しました。

「イベントを行うと、駅前に若い人が集まるようになったんです。若い人が集まると、食事やお酒を提供してくれる店も、回を重ねるごとに増えていきました。こうしてイベントを定期的に行うことで、店主同士が自然と顔を合わせる機会も多くなり、イベントがないときにもお互いに情報交換ができる関係性になったのは、良かったですね。

商店街なわけだから、一人でお店をやっている訳じゃない。街全体として、自分の店も、隣の店も盛り上がっていくといいよね、とみんなに思ってもらえていたらうれしいです」

八景の駅前のにぎわいを取り戻すため、新しい風を起こし続ける永島さん。しかしそれまで街を守ってきた世代との調整は、なかなか厳しいものがあったといいます。

「初めのころは、だいぶ喧嘩しましたよ。面倒くさいやつが来た、と思ったでしょうね(笑)。でもイベントの参加者が少しずつ増えていく様子などを見て、喜んでもらえたんです。今ではもう、めちゃくちゃ仲良しです。

やっぱり30年間動きが止まっていた場所なので、昔から住んでいる方は、街の変化 を経 験し“”ていないんです。駅前だからもともと人の往来もあって、変えなくてもなんとかやってこられたから。でもこれからはそうはいかなくて。僕のように家業を持っていない人でも、この街に戻ってきたくなるような場所にしましょうよ、と何度も話し合いましたね」

2019年にようやく区画整理事業が完成。駅前には大きな商業施設ができ、道路も舗装され、30年近く止まっていた時計の針がようやく動き始めた、金沢八景。この機を「100年に1度のチャンス」と永島さんは話します。

「30年間、新しい建築もできなくて改装なども決まりの中でしかできませんでした。でもこれからは違う。街全体が一気に生まれ変わるのは、今後もめったにないことですから、これを機に街の価値を上げたいというのが、みんなの総意なんです」

そのため永島さんらまちづくり協議会では、「デザインガイドライン」という街の景観を整えるためのルールをまとめ上げています。みんながそれぞれ好きに建物を建てれば、以前と変わらない見栄えのまま。イチからスタートできる今だからこそ、足並みを揃えて理想の街のイメージに向かい、みんなで街をつくっていくことが大切だといいます。

区画整理事業が行われ始めるころから、八景島シーパラダイスや海の公園などの整備が進んでいたことや、もともと観光資源が豊かだったこともあるのでしょう。最近では子どものいる世帯だけでなく、若い世代でも「金沢区が大好きだ」と言ってくれる人も増えているのだとか。

これからしばらくは、まちづくりの時代が続くと思う、と永島さん。商店会やまちづくり委員会にも、若い世代にどんどん入って来てもらい「早く怒られる側になりたい」と笑います。

「ぼくももう、50代なんでね。当たり前ですが若い人の感覚はもうないわけですよ。『そんなやり方じゃダメですよ、僕らに任せてください』とうるさがられて引っ込む、みたいなのが夢かな」

現在は新型コロナウイルスの影響でなかなかイベント開催ができず、商店街のつながりが薄くなってきてしまっていることに懸念を示す永島さん。「はやくイベントをやりたくてうずうずしている」と、次なる開催に胸を膨らませます。

商店街のつながりを作り、街のにぎわいを生むイベントを仕掛けること。生花店を営みながら、住民の声を聞くこと。その声を役所へ届けること 。永島さんらまちづくり委員会が街のハ……ブとなり、いい循環が生まれています。

自分の世代や、今の時代さえよければいいという考え方ではなく、街のこと、ずっと先の将来を見据えて動く人がいてくれることが街の発展には必要なことでしょう。

自分も金沢区のにぎわい創出を担う一人になりたいという方は、ぜひ永島さんの元へ話を聞きに行ってみてください。永島さんのバトンを受け継ぐのは、あなたかもしれません。

永島稔さんさん

「八景生花店」店主

父親の代から50年以上つづく花屋「八景生花店」店主。金沢八景駅前の賑わいを創出するため「金沢八景まつり」や「青空市場」などのイベントを主催。2019年から金沢八景まちづくり委員会の委員長を務めるなど、地元の連携に取り組む。

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